やまと通信       Vol.5
 
〜 心 持 ち 〜
 
 今の世の中どうゆうわけか、「人間生まれながらにして、自由にして平等である。」という至極誤った認識がはびこっているように思われますが、みなさんいかがでしょうか?
 私たちは生まれながらにして、肉体的、精神的、思考的に先天的なものに大いに限定されていますし、成長する過程でさらに多くの見えない力によってよりその能力を制限させられていきます。
 例えば、背の高い人もいれば低い人もいる、記憶力のいい人もいれば悪い人もいる、走るのが速い人もいれば遅い人もいるなど、生まれ持っての不平等さというのは恐ろしいほどのものがあります。
 またそれ以上に私たちを不自由、不平等にしているのは育つ環境です。例えば、チベットで育つのと、バングラディッシュで育つのと、イラクで育つのと、アフリカで育つのと、アメリカで育つのと、日本で育つのでは、精神的なものや考えられる内容などが全く異なりそれぞれで大きく制限させられてしまいます。それどころか、同じ国や町に育ってもそれぞれの家庭環境によっても感情や行動、思考できる内容などが大きく制限されてしまいます。
(しかし、私たち人間は自分たちの環境や価値観などを変えていくことができます。だから、そういった不平等や不自由を少しでも解消していこうと多くの人たちは何百年にもわたって努力しているのでしょう。)
 と、前置きがたいへん長くなってしまいましたが、本題の「心持ち」ということについて少し考えていることを話させていただきます。
 そのように私たちは全く不平等、不自由なのですが、人によって多少の平等、自由を持っているということもたしかなことだと思います。例えば、当「やまと学院.」に通っている生徒のみなさんは、それぞれに決まった時間内で自分のやりたい勉強ができるという自由がありますし、多少の差はありますが、すべての人たちがほぼ平等に私の指導を受けることができるのです。
あとは生徒のみなさんの心持ち一つなのです。
 私は子供たちのやる気に答える義務はありますし、子供たちに少しでもやる気がでるように、少しでも勉強ができるようにいろいろなことを提案する義務もあります。が、しかしやる気のない子に無理矢理勉強をさせる義務はないと考えていますし、そうする気もありません。
 当学院では、勉学はもとより「自立」というものを大切していますので、自分で自分の本当にやりたいことややらなければならないことを判断して、自分でどうするのかを決めるということを練習してほしいと思います。
 
心こそ 心まどわす 心なれ  心と心 心ゆらすな

 

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