やまと通信       Vol.10
 
〜 躾(しつけ) 〜
 
 「躾(しつけ)(仕付け)」とは「 礼儀作法を身につけさせること。また、身についた礼儀作法。」(『広辞苑』より)ということなのはみなさんもご存じのことだと思います。
 では、「礼儀作法を身につけさせること」と聞くとどのような感じを受けるでしょうか。おそらく一般的には「厳しく、怒りながら、強制的に身につけさせる」というようなイメージだろうと思いまし、私もそう思っていました。
 ところが毎日のように子供たち、生徒たち、ときには甥っ子などに接していますと、「厳しく、怒りながら、強制的」に何かをさせることの無意味さ、非力さをしみじみと感じてしまうのです。
 どうですか?みなさんも経験あると思いますが、子供たちに怒鳴ったり、たたいたりしながら無理に何かをやらせようとすると、逆に反抗したり、その場ではやるものの、その後意地になってやらないようになったりしませんか。
 きっと子供たちはそうすると思います。
 なぜならば、私たち大人でもそうなのですから、より自分の感情に素直な子供たちがそうしないわけはありません。つまり人間とは他人に強制されて何かをするのが好きではない、自分で納得した上で自分で「やろう」と決心して初めて何かをやる生き物なのかなと感じます。
 しかし私たち人間は生まれながらにして全てのことを知っているわけではありませんし、何の教育を受けることなく自然に全てのことを知ることができるわけでもありません。ですから親や周りの大人たちは子供たちに身につけてほしいことを教えたり、見本として普段の態度で暗に教える義務があるのだと思います。
 そして私たちは「子供のため」と思いいろいろなことを教えようとしたり、いろいろなことをやらせようと思うのですが、実際にはなかなか子供たちはそのことを理解して「やろう」としません。すると私たちは「あんたのためにやっているのよ」と思ったり、実際に言葉に出してしまったり、ときには手がでてしまうこともあると思うのです。しかしそうしたところで何のよい効果もないということが最近経験的に分かってきました。
ではどうすればよいのでしょうか?
 それは何も「厳しく、怒りながら、強制的」に躾をしたり、ものを教えたり、何かをやらせるのではなく、「優しく、微笑みながら、淡々」と時間をかけてゆっくりと諭してあげればよいのだと思います。
 ダメなものはダメ、善いことはよい、しなければらないことはするように、してはならいことはしないようにはっきりと言う。ただし、一度言われてすぐに実行できる人間はそうはいません。ですから今すぐにその効果をほしがるのではなく、何年か先に効果が出ればいいというぐらいの心の余裕がほしいものだなあと思う今日この頃です。(難しいかなあ・・・)
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