やまと通信     Vol.16 9月号
 
〜 親 の 役 割 〜
 
 まずは『子供を伸ばす一言、ダメにする一言』( 浜尾実 PHP文庫 )のなかの一節をご紹介します
 
9  子供の小さな努力が見えるのはお母さんだけ
  (P52〜53)
 子供が学校へ通い始めると、お母さんの頭の中はもう成績でいっぱいです。なにしろ我が子の能力や成長の度合いを、通知票とかテストの点で歴然と示されるのですから、どうしても関心がそちらに向いてしまいます。おまけにそれは「○○君よりはできる」とか「××ちゃんより負けている」といった比較を可能にさせるものなので、親としては気になって仕方がない、というところでしょう。
 そういう意味では、”成績”の存在は本当に罪なのかも知れません。それだけにこだわるあまり、成績のよい子は優れた子、成績の悪い子はダメな子、などという片寄った考えに、親も子供もふりまわされているように思います。
 けれども成績はあくまで”結果”の評価でしかありません。また、十人の子供がかけっこをすれば必ず一等の子とビリの子がいるように、成績が一番の子もいれば、最下位の子だっているのは当然なのです。だからといってビリの子が一番の子より人間的に劣っているのか、将来も期待できないのかといえば、決してそんなことはありません。
 大切なのは、その子が自分の力のギリギリまで努力したかどうかです。たとえ数字の上ではパッとしない成績であっても、一生懸命にやった結果であるなら、それは立派な成績ですし、誇るに値するものです。
 本当は、どのくらい努力したかによって通知票やテストの点数がつけられれば一番よいのでしょうが、現状ではなかなかそうもいきません。四十人の子供を受け持つ先生が、それぞれの子供の二十四時間、三百六十五日の生活の隅々まで見つめることは、残念なことに不可能なのですから。
 それができるのは、お父さんでお母さんです。少なくとも親だけは、結果だけで子供を評価するのではなく、その過程を認めてやらなければならない義務があるのではないでしょうか。
「点数はたいしたことなかったけど、今回はよく勉強していたわねって言ってくれた。やっぱりママだけは、私のことをよく見てくれてるんだわ。」
 そう思うと、子供の心には安らぎと自信が生まれます。努力の尊さを知る子の将来は、たまたま成績がよいだけの子より、ずっと明るいものなのではないかと思います。
                       (強調、下線 大和山)
 
 
 そもそも、育児の目標とはどういうものだと考えて、みなさんは日々育児をされているのでしょうか。
 私が考えている育児、教育とは、「自立できる子を育てること」です。
 つまり、
 いつでも子どもにとって一番いい道を選んでやりたいという親の気持ちは理解できますが、子どもを育てるということは、その時点で完成するものではなくて、将来に向けての出発点を用意してやるということだということを分かっておいてほしいと思います。
 将来大人になったときに最も大切なことは、自分の力で人間らしく生きていくということです。そのためには、自分の力で判断し、自分が本当に大事だと思ったから行動し、その結果に自分で責任持つという力を育てることが必要です。
 自主性というとちょっと抽象的でわかりにくいかもしれませんが、別の言葉で言えば、意欲を育てるということです。
自分で何かをやってみたいという意欲のある子に育てることが、大人になって自主的に生きられる原点になるです。
(『0〜3歳の個性を伸ばす 能力を育てる』汐見稔幸 p156〜157)
ということだと思いますが、いかがでしょうか。
 そして、そのための
《私が考える親の役割》とは、
@ 親は子どもの基地になろう。
・・・ 子どもたちは毎日が海外旅行に行っているようなものです。楽しいこと、興味深いことにもたくさんであうでしょうが、つらいこと、大変なこと、やなことにもたくさんあいます。そんなとき、ふっと心を休める場所が子どもたち(私たち)には必要だと思いませんか。子どもたちにとっての心安らげる場所とはたいてい「親」または「家」だと思います。
そして、そういった安心できる基地があるからこそ、子どもたち(私たち)はまた、つらいことも楽しいこともある社会へ出ていこうという意欲、勇気がわくのではないでしょうか。
また、子どもたち(私たち)は毎日の生活の中で、しなければならないことをしたくなくなり、してはいけないことをしたくなるものです。そんなとき、親は何度でも、子どもたちにやるべきこと、やってはならないことを確認させてあげるべきだと思います。そういった役割も親の重要なものだと思います。
 
A 親は手をかけるな、目をかけろ。
B こどもの成長にあわせて、そのときどきで最適な体験をさせてあげよう。
 AB ・・・ 自立した子どもを育てるならば、子どもを放任しておくべきだ、というようなとんでもない勘違いをされている方はいませんか?
これは@にも関係してきますが、子どもを放任しておいては決して、社会的な分別をしっかりと持った自立した人間に育つことはないでしょう。
かといって、もちろん手のかげすぎは子ども自主性を萎縮させます。何とも難しいのですが、その狭間をうまく見極めながら子どもと関わっていくしかないだろうと思います。
そして、その狭間をうまくやっていくためのキーワードがAとBだろうと思います。
「親」という字をよく見てみますと、「木」の上に「立」って「見」るとなっています。つまり、親とはその子をよく見てあげる人のことなんだろうと思います。そして、よいことをしたならば褒めてあげ、悪いことをしたならば叱ってあげるという、ごく当たり前のことをすればよいと思います。その際、重要なことは、人間は同じ過ちを何十回も犯すものだということと、叱る際には、感情的にならないように気をつけることだと思います。(ときには、感情的になることも重要でしょうが。)
そして、よく子どもたちを見て、そのときどきに一番よい経験、体験をさせてあげれば、おのずと子どもたちは成長していくようです。なんと言っても人間には生まれながらにして自分自身を育てる能力が備わっているのですから、親はそれにちょっと手を貸してあげればよいのではないでしょうか。
ただ、いつどんなことを体験させてあげることがよいのか、という重要な疑問が残りますが、これは私もいまだに勉強中で、みなさんにハッキリとしたものを示せないのが残念です。(ただ、「読む・書く」という能力は8〜12歳の間で大きく差ができてしまい、その後ではなかなかその差を埋めることができないということは何度もみなさんに申し上げていることですね。
また、「お手伝い」というものも、そのときどきの子どもの能力にあわせてやらせてあげることが重要なようです。それは、その子の知能を高めるということだけではなく、家族の中での自分の存在感のようなものや達成感のようなものを感じさせることもできるからです。)
 
 今のところ私にはこれぐらいしか思いつきませんが、みなさんの育児の参考に少しでもなればと思います。
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