やまと通信 2月号
Vol.21
〜 怒 る 〜
突然ですが、みなさんは生きていく上で一番大切なことは何だと考えていらっしゃいますか。
私は「機嫌がよいこと」こそ生きていく上で一番大切だと毎日思いながら生きています。
しかし、一日に一度は怒りという感情がわき上がってきます。怒っているということは「機嫌が悪いこと」に他なりません。ですから、怒ったあとはとてもいやな気分になります。
そこで、最近「怒る」ということについてしばしば考えていました。
まず考えたことは、どんなとき私は怒るのだろうかということです。
その結果、
(1) 自分の中にある個人的・社会的正義感(の基準)に反することを人がしているの知ったとき。
(2) 自分の思い通りにことが運ばなかったとき。
または、人が動いてくれないとき。
(3) 自分のいやな面を相手に見たとき。
と、3パターンぐらいあるのではないかということになりました。
その中の(1)については、同じ「怒る」という感情の中でも、良質な「怒り」、必要な「怒り」といえなくもないかなと思いますが、(2)・(3)の「怒り」という感情がわいてきたとしても、相手にそれをぶつけてはならないものだと思います。
しかし、私たち大人、親や教師などは得てして(2)・(3)の「怒り」を子どもたち・生徒たちにぶつけてしまってはいないでしょうか。
子どもたち・生徒たちが言うことを聞かないといっては怒り、叱る。また、ぐずぐずしてる、テレビばかり見ていてちっとも勉強しないといっては怒り、叱る。
しかし、子どもたち・生徒たちにも当然ですが、それぞれの意志や考え、価値観があります。また、子どもたち・生徒たちは親や教師の姿、行動を見て育っているわけですから、親や教師のよい面も悪い面も否応なくコピーしながら育っていくのです。
ですから、親や教師のいうことをすべて聞くわけは当然ありませんし、子どもたちのなかに自分のいやな面が存在しているのも仕方のないことなのです。それなのに、親や教師などの権力があるものは自分たちの感情のままに子どもたちに当たってしまいます。そんな理不尽な対応をされている子どもたちはもちろん親や教師の言うことを聞かない、ときには反抗し、わざと迷惑をかけ、心配をかけるのでしょう。
だからといって親や教師は子どもたち・生徒たちの悪い面、悪い行動に対して何も言わなくてよいのかというと、そうではない。悪いことは悪いとただ教えてあげる、いやただいつでもしっかりと見ていてあげれば、彼・彼女たちは決してとんでもないことはしないはずです。
とても難しいことなのですが、目の前の人や子ども・生徒が何か悪いこと、間違ってることをしているとき、「怒り」という負のエネルギーを使ってそれを正そうとするのではなく、「愛情」や「優しさ」、「思いやり」といったプラスのエネルギーによってただそうしてあげたいものだと日々自分に言い聞かせています。(なかなかどうして、できませんが・・・)
最後に少し話がそれるのですが、
すべての子どもたちは親の喜ぶ顔を見ることが一番好きです。
そして一番迷惑をかけたくない、心配をかけたくないと思っているのも親なのです。
ですから、小学校高学年以上の子どもたちに対しては、あまりうるさいことを言わずに、じっと見守ってあげることが大切なんだと思います。
彼女たち・彼らが何か悪いことをしようとしたときに、ふと親の顔が見えればそれでよいのではないでしょうか?
そしてときに親や友人を喜ばせようとしてくれる。そんな人間に育ってくれれば子育て大成功だと私は考えます。
とにかく、親や教師、いや社会のすべての大人たちは毎日機嫌良く暮らし、子どもたち・後輩たちを大きく優しく見守れるようにしなければならないと思います。