やまと通信      4月号
                                Vol.23
〜 全 く 逆 ?! 〜
 
 今月は中川志郎さんという動物学者の『動物は子どもをこんなに可愛がる』という著書からの引用をまずは読んでいただきたいと思います。
 
 「しっかり抱いて!」から「ほっといて!」へ
 産まれた子どもが徐々に成長していく過程での、子どもと母親のかかわり合いは、どのように変化していくものであろうか。
 動物たちの世界を見ていると、哺乳期、離乳期、そして巣立ちの時期と、それぞれに変化していくことが分かる。この事情をデズモンド・モリスは、実に端的な言葉で表現している。
 (中略)彼は人間の成長過程を三つに分け、子宮外胎児期から新生児期を「しっかり抱いて!」の時期、幼児期から少年期にかけてを「下におろして!」の時期、少年から青年期にかけてを「ほっといて!」の時期だというのである。私は、その分類がとても好きで、まさに言い得て妙だと思う。
「しっかり抱いて!」の時期とは、子宮の中で安心と保護の中にいた赤ちゃんが、そこから放り出されて、頼りなく、どうしていいか分からず、「しっかり抱いて!」といっている時期で、それは、赤ちゃんの心からの、生物としての最小限の叫びなのだ。その要望に母親は応えてやらなければならない。それには左の胸にしっかり抱いてお乳を与えるだけでいいのである。それだけで赤ちゃんは満たされる。
 次に「下におろして!」という幼児期から少年期にかけての時期は、サルでいうと、だいたい三ヶ月から半年、一年ぐらいまでの間であるが、これは探索の時期とも呼ばれている。母親がここにいる。いままでは「しっかり抱いて!」と、母親からほとんど離れず、背中やお腹にくっついていたものが、3ケ月頃から、1メートル、2メートルと離れていく。離れて探索するのである。周りにあるものを何でもさわってみる。目で見る。あるいはかんでみる。しかし何かあると、すぐに母親のところに戻っていく。そしてまたそろりそろり、1メートル、2メートルと離れていく。
 それが3メートルくらいになると、別の世界が待っているのだ。今度は、その探索の中に同年代の子どもが入ってくるのである。こうして一段階ずつ適応していって、サル社会に入っていく。それが一年を過ぎると、「ほっといて!」の時期になって、母親があまり干渉すると、かんしゃくを起こす。
 この三ヶ月から六ヶ月、六ヶ月から一年ぐらいの「下におろして!」時期を、デズモンド・モリスは、「愛と規律の時代」と呼んでいる。子どもは、何か起きると、パッと飛んできて胸に飛びつく。それを母親は抱きしめて保護してやる。その代わり、三メートルしか離れてはいけないのに、五メートル離れたときには、母親は飛んでいって、殴ったり、平手打ちを食らわしたり、かんだりして制裁を加える。愛と規律が同居している時代なのだ。その時期に子どもたちはいろいろなことを覚えていくのである。
 (中略)すなわち母親と子どもの結びつきは元基として非常に大事だけども、その次に「下におろして!」の時期に、同年代の子どもとの接触が十分にできることは、次の段階のきわめて重要なプロセスである、というわけである。
 (中略)それでは、探索の時期に母親という基地がなかったらどうなるだろうか。三カ月たっても四ヶ月たっても、一メートル以上動けないのである。探索が出来ないと、精神的な発育がどんどん遅れていく。母親のいるサルといないサルを比べてみると、母親のいないサルは肉体的にも精神的にも非常に遅れていることが分かる。そして群の中に入っていけない。母親がいて、いつでも基地に飛んで帰れるという安心感があって初めて、子ザルの探索の距離は伸びていくのだ。そういう意味でも、母親という絶対的保護者がいるということは、子どもの成長に非常に大事だということになる。
 こうして考えていくと、ちょっと言い過ぎかもしれないが、いまの人間のやっていることは、「しっかり抱いて!」の時期に突き離しておいて、「下におろして!」の時期になかなかおろさないで、「ほっといて!」の時期にべたべたするという、哺乳動物としては全く逆なやり方をしているのではないかという気がする。 (下線強調大和山)
 たとえば、「しっかり抱いて!」という、一番母親を必要としている時期に、母親から離して新生児室に何十人という新生児を入れて並べておく。それでは情緒の発達もへったくれもないという気がするし、極端にいえば、子どもの人権をきわめて無視したおとなのエゴだとさえ思うのである。
 子どもが最も必要としているのは、保護と暖かさと快さと絶対の安心感、ようするに母親の抱擁なのに、そのかわりにいまの子どもたちに与えられているのは、ガラス箱に入れられて、抱きかかえるものが何もないという状態。これは、子宮の中で保護されていた赤ちゃんが最初に与えられる最も過酷な条件だろうと思う。ある意味では、人類の歴史始まって以来、最も不幸な時代をいま子どもたちは過ごしているのではないかという気さえしてくる。
(引用終わり 『動物は子どもをこんなに可愛がる』講談社α文庫  中川志郎)
 
 さて、いかがだったでしょうか?
 たしかに、同じ哺乳類であっても、サルと人間は違う生き物です。
 が、しかしサルの子育てから学べる点も多くあるのではないかと思います。そのひとつは、親と子とのかかわり合い。子の成長に伴う、親と子の距離間という点においては非常に学ばねばならない点があると思います。
 人間の、こと日本人の親と子の距離はまったく自然の摂理に反していると思いませんか。
 たとえば、本当に困ったことに、赤ちゃんをあまり抱きすぎると抱き癖がついてしまってなかなか親離れが出来ないという(悪意があるとしか思えないような)迷信を信じ、赤ちゃんが泣いても抱いてあげない。また、少し放っておいて泣かせておいた方が、運動にもなるし、甘やかしをさせないという(これまた悪意に満ちた)迷信を信じて、泣かしっぱなしにしてしまうことが日本では多々あるようですね。
 これは全くの間違いで、少なくとも生後1年間はよく抱き、泣いたならば必ず何らかの反応をしてあげることがとても大事なのです。そうしてあげることによって、赤ちゃんは、この世はそんなに悪いところではないし、私を助けてくれる人がいるのだということを知り、自分の行動に対してしっかりと反応してもらえることによって、コミュニケーションと情緒の基礎を育てることができるのです。逆に、しっかり抱いてあげたり、泣く子を放っておくと、引用にもでてきましたように、いつまで経っても社会にでていくことが出来ないし、コミュニケーションや感情などをうまく表現できない人間に育ってしまうです。
 ただ、これらのことはちょっとみなさんには遅すぎる情報ですね。(誰か周りに幼児を抱えているお母さんなどがいましたら、絶対に教えてあげてください。)
 しかし、小学生、中学生であっても親や周りの大人の愛、信頼感、安心感があってこそ、初めて社会に自信を持ってでていけるという点では、十分に参考になると思います。
 では小・中学生とはどの時期なのでしょうか?
 個人差があるものの、「下におろして!」〜「ほっといて!」の時期でしょう。2,3歳から「下におろして!」時期は始まるわけですが、中学生でもまだまだその時期にいる生徒さんも多いようです。その時期は「愛と規律の時代」でもあるわけで、その時期に「しなければならないこと」や「してはならないこと」をしっかり、毅然とした態度で教え、示すことは親の大事な仕事のようですね。前にも書きましたが、子どもたちは迷っているのです。ですから、私たちおとなははっきりととるべき価値観、基準というものを示す必要があります。迷ってはダメです。そのためにも親やおとなは常に子どもたちよりも多く勉強し、たくさん考えねばならないのだと思います。
 そしてだんだんと「ほっといて!」の時期に入っていくわけですが、ほっとくといっても、まったく野放しにするということはあってはならないと思っています。それは、過保護にすることと同様に間違った、悪いことだと思います。
 ではどうしたらよいのでしょうか。
 それは、手出し、口出しはしないが、しっかりと見ていてあげるということだと思うです。「親」という字は、「近くで見ている」という意味です。どうか、子どもたち(他人の子も含めて)をしっかり見、愛と信頼感と安心感を彼女・彼らに与えつつ、彼ら・彼女たちが迷ったときにすっと手助けをしてあげられるように、常に心に余裕を持って日々子育てに励みたいものですね。
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