やまと通信   7月号
                            Vol.26
〜 病 気 〜
 
 今月は、石川憲彦さん著の「子育ての社会学」を参考に少し書かせてもらいます。
 
しょうろうびょうし【生老病死】
 何千年の昔から、人間はこの四つのものを苦しく、いやなものと思い、敵視してきたのだと思います。
 もちろん、これらは苦しく、できることならば避けたいものだということは認めます。しかし、これらによって人生がより豊かになる可能性も大いにあるのだということもまた事実ではないでしょうか。
 たとえば、私は生まれてから一歳になるまでに、何回か腸の方を手術したそうで、いまでも大きな傷が残っております。そしてその古傷のせいで、中学、高校、大学の頃に何回か入院を余儀なくされたこともありました。
 たしかに、あの腹痛は尋常ではなく、「頼むから殺してほしい」といつも思います。しかし、病院に行き、点滴等で治療してもらえばすぐによくなります。そして、退院までの数週間病院で療養するのですが、その間に周りの人たちの優しさ、思いやりにたくさん触れることができるのも事実です。
 それは家族のものであったり、友人のものであったり、看護婦さんなどのものであったりしますが、とにかく、入院するたびに、私は周りの人たちに愛され、大切にされいるのだなあ、と心底感動します。
 そして、そういった気持ちから、私は、元気になったら何とか恩返しをしよう、できる限り他人にも優しくしようと思ったりします。(そういった気持ちを忘れかけたとき、もしかすると神様が私に罰として入院させているのかもな、なんて思ったりもするぐらいです。)
 大切なことは、病気になったときには、「真剣に」病気になる、ごまかさずに病気と向き合う。ただ忌み嫌うのではなく、病気になったならば、そのことを楽しむ、そのことによってしか得られないものをしっかりと得ておくということではないでしょうか。
 
失敗
 病気とともに、現代人、特に現代の子どもたちが避けるもの、または、親が避けせさせるものとして「失敗」というものがあります。
 とにかく、現代は、まず何よりも病気にならないようにと、病気を避ける。同様に、まず何よりも失敗しないようにと、失敗を避ける。そして、そういった価値観の中で私たちは子育て、教育をしていますから、子どもたちに対しても、無意識に、とにかく病気をしないように、失敗をしないように、親や周りの大人が先回り、先回りしてしまいます。
 しかし、本当に、そうすることが子どもたちのためになるのでしょうか。
 私はそうは思いません。
 いままでの通信でも何度も言ってきましたが、私にとっての教育、子育ての第一の目的は、「自立・自律」です。
 いろいろなことを感じ、思う。そして自分で考え、行動し、その結果を受けてもう一度自分で考え、行動していく・・・ということができるようになるための準備期間、練習期間、そしてそれらを学ぶ環境を用意するのが、教育、子育てだと信じて疑いません。
 現代ならば、20代、30代ぐらいまでは「自立・自律」のための準備期間、練習期間だと考えてもいいかもしれません。準備期間、練習期間にいくら失敗しようともそれは大変貴重な経験でこそあれ、決して間違ったもの、避けるべきことだとは思えません。
 大切なことは、まずは失敗ができるように、なんでも挑戦させてあげること。そして、失敗したときにも、決して責めないこと。その失敗を一緒に解決してあげること、または、子どもたちがその失敗を解決しようとしているのをそっと見守ってあげること。最終的には、子供と親でその失敗を半分ずつ分担してあげることなのだと思います。
 そういう積み重ねが、20年間も続けば、間違いなく、子どもたちは子どもたちでなくなり、「立派な」大人になっていけるのだと思います。
 数年で完成することはないでしょう。ましてや、1回や2回の失敗で済むはずもありません。どうか、社会、地域の大人全体で、子どもたちの成長を大きく見守ってあげたいものですね。

 

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