やまと通信   8月号
                         Vol.27
〜 ほ め る 〜
 
誉めるとは?
 
 やまと学院.のモットーとして、「怒らずに誉める」というものがあります。生徒たちを怒ったり、怒鳴ったりしながら無理矢理勉強させても、マイナスの効果こそあれ、よい効果、よい結果は全くないと思っています。
 しかし、怒らないということと、すべきことはさせる、してはならないことは注意してやめさせるということは違うとも思っています。どうちがうのか、それは、怒るということは「己の感情」だけを相手にぶつけるということで、注意するということは、社会的に、または人間としてすべきこと、してはならない基準を示すことだと思っています。
 ここまでは以前から何回か通信で申し上げてきたわたしの考えで、実際にこの考えの基に日々生徒たちに接しています。
 しかし、上記のモットーの後半部分「誉める」ということに関して、じつはいろいろな育児書などの受け売りであって、自分の中ではまだ理解できていないということが最近自覚できるようになっていました。
 上記のモットーの通り私はできるだけ「怒らずに誉める」ように努めていますが、ときどき誉めたあと、「あ、いま誉めない方がよかったなあ。」と思うことがあるのです。誉めたにもかかわらず、生徒がうれしそうではない、逆にむっとしている感じすら受けることがあるのです。それはどうしてだろう、と最近考えていましたが、ようやくその答えらしきものを見つけられました。
 それは、あのバスジャック事件の犠牲者になりました塚本達子さんの著書『お母さん わが子の成長が見えますか』という本なかで静かに私のことを待っていてくました。
 それは、たいへん驚いたのですが、「誉める」ということとやまと学院.最大の目的ある「自立」ということが実は深く関係していたということが分かったのです。


「自立」と「誉める」
 
 「自立したい」という気持ち、「自分でなんでもしたい」という気持ち、欲求は、生まれた頃には食欲などと同じぐらい強い欲求、本能といってよいものなのだそうです。
 しかし、子どもたち自身にやらせると、時間はかかるし、いろいろと失敗などをして、よけいに仕事が増えてしまうということで、現代の日本社会ではなかなか子どもたちのその大切な本能、欲望を満たしてあげられていませんね。それでいて、小学校高学年や中学生、高校生になると、「自分のことは自分でしなさい」とか「自主的に何かに取り組んでほしい」とか「何か夢や希望を見つけてほしい」などと無茶苦茶なことを言うのですから、現代の日本の親や大人や社会は困ったものです。
 では「誉める」ことと「自立」はどのような関係なのでしょうか?
 これは子どもや生徒たちに対してだけではなく、大人同士の関係にもいえることでしょうが、ある子ども(生徒・人)が何かを成し遂げたとき、その子はものすごい「うれしい」という気持ちがその子自身の中に生まれるはずです。そのときに、その子の気持ちを共有してあげることが「誉める」ということなのだそうです。そのときに「よくやったね。」とか「すごいね。」とか「おめでとう。」と言ってもいいでしょうし、ただ目を見合わせて微笑んであげるだけでも十分「誉めている」ことになるのでしょう。
 もちろん、何かを成し遂げるのに、その子一人だけの力ですべてをやることはできないでしょう。そのときどきで親などが力を貸してあげる必要やそうすることを求めてくることもあると思います。それでも、その援助がその子が求めている範囲であれば、彼は十分に「自分でやり遂げた」という喜びを味わえるでしょう。そして、その気持ちに親として、いや一人の人間として素直に共感してあげればそれでいいそうです。
 そういう経験を積んでいくと「自立心」が育っていくのはもちろんなのですが、何と、そういう経験を積んでいくと「自律心(自分で自分の行動や感情を律する力、コントロールする力)」までもが、育つのだそうです。
 私は塾で、みなさんはご家庭で、
      本物の「誉める」を実践してみましょうね。

 

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