やまと通信     3月号
                             Vol.34
〜 強 制 〜
 
 今年も早くも3月、だいぶ春らしくなってきました。
 塾の3月は、新年度の始まりです。2年生はあと1年もなく、受験が待っています。そのことを徐々に自覚し、勉強にも部活にも一生懸命取り組んでほしいと思います。
 さて、今年に入り、世界的なイベントとして冬季オリンピックがありました。国内では、小泉内閣の中心的存在であった田中真紀子さんが更迭になるなど、忙しい世の中です。そこでとても気になったことは、「笑顔」です。
 オリンピックに出場している選手のみなさんは、この4年間(またはそれ以上)の間に極限の練習、それこそ命の限界までの苦しい練習をしてきます。それなのに、テレビのインタビューなどの時はそんなことをみじんも感じさせないさわやかな「笑顔」で答えています。それに対して、今話題の渦中にいる鈴木宗男衆議院議員や外務官僚たちの「笑顔」は、今までしてきた悪行を何とかごまかそうとする悲しい「笑顔」に見えて仕方がないのは私だけでしょうか。
 私どももそうですが、親のみなさんも、後者のような「笑顔」を子どもたちに見せる必要がないようにしたいものですね。
 
自立・自律
 私がいつも申し上げている教育の最大の目標の1つは「自立・自律」です。そして「自立・自律」と「自由」とは切っても切れない関係にあると思います。
 と言いますのも、「自立・自律」とは大まかにいって「自分で考え、判断し、行動すること」だと解釈してます。そして「自由」とは読んで字の如く「自(みずか)らに由(よ)る」とうことで、やはり「自分の行動、発言は自らをよりどころにしている」ということで、どちらもかなり近いものだと私は考えています。
 そして最近の教育の方向性として「自由」「生徒の自主性」を大切にしていますね。それはそれでとても大切なことだし、よい傾向だと思います。
 しかし、すべてを「自由」「生徒の自主性」に任せていてはどうにもならないと思いますが、みなさんいかがでしょうか?
 子どものうちから、自らにきつい課題を課し、そして最後まで克服していける、またはそうしようと考える子どもがどこにいるのでしょうか?
 
家元
 先日NHKのアンコール放送で、鼓の家元についてのドキュメント番組を見ました。そこは、「自由」「生徒(子ども)の自主性」という言葉とは対局にある世界でした。ですから、「家」を継ぐことを定められた子どもは、自我の芽生えとともに自分の置かれている状況に苦しみ、怒り、反発しようとしていきます。しかし、40代、50代になる頃にはそういったものを超えた先にある「自由」「生き甲斐」、いやそういったちんけな言葉では表現できないような境地に達しているようでした。
 また、オリンピックに出場している選手たちも最初からこれまでの間ずっと自らの意思によって練習を続けてきたわけではないはずです。
 さらに、少し話は飛びますが、DVの加害者更生支援について少し勉強してきましたが、一番大事なことはもちろんその方の「意思」なのですが、それだけではダメで、そういう自分の苦しさをともに語れる「仲間」や「半強制的な更生プログラム」とそれを実践していける「環境」がなければダメなようです。
 
「意思」&「半強制」&「環境」
 つまり私がいいたいことは、人間とは弱く、無知な生き物なので、自らの意思(子どもたちの意思)だけで、すべてのことを決めさせてはダメだと言うことです。親や大人たちがどうしても学んでほしいこと、経験してほしいことなどは、「半強制」的にでも学ばせたりしなければならないということ。そして、それができるだけ「強制」にならないように「環境」を整えること、できる限りその子たちの「意思」を尊重できるような仕組みを整えることこ
そが、私たち大人(親)に課せられた義務ではないかと思います。
おかげさまで、今年で4年目を迎えることができました。
今年度も最善を尽くしていきたいと思いますので、よろしく御願いします。


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