やまと通信     4月号
                               Vol.35
〜 強 さ 〜
 
 今月は漫画を読んでで感じたことを書かせていただきます。
 吉川英治さんの『宮本武蔵』をもとに書かれている『バガボンド』(井上雄彦)と、ボクシング漫画の『はじめの一歩』(森川ジョージ)を最近読んでいまして、ともに「強さ」というものを主人公が追い求めていました。私はボクシングや格闘技を学んだことはありませんし、ほとんどけんかもしたことがありません。ですから、「強さ」というものを特別に追い求めたり、考えたりしたことはほとんどありませんでしたが、この2作品と、先日勉強してきましたことが何とはなく、この「強さ」という課題に目を向けさせてくれました。
 
倒す
 宮本武蔵と一歩(ボクシング漫画の主人公の名前です)にとって、「強い」とはすなわち、相手を倒すこと、武蔵においては自分は生き残り、相手を死に至らしめることが、「強い」ということだとずっと信じていました。ですから、2人とも自分のライバルを倒せば自分が「強きもの」と思えるはずだと必至にその相手を倒します。ところが、どうでしょう、2人ともライバルを完全に倒したにもかかわらず、自分が「強い」とも思えません。それどころか、「強さ」とはどんなものなのかということさえ、今まで以上に分からなくなっていきます。
 
暴力
 先日久しぶりにDVについての勉強会に参加してきました。今回はDVと児童虐待についての勉強会でしたが、私にとっては社会的な力関係が暴力を生んでいるという言葉が一番印象的でした。つまり、夫婦間暴力は社会的に男性が強いという事実がその背景にある。社会的に強いとは、男女間の賃金格差や、社会的な決定権が男性にあること、そして思想的にも男尊女卑がいまだに根強く私たちの中にあることです。そういった社会的な力を拡大解釈、といいますか、ゆがめて理解してしまう男性(夫)は、女性(妻)に対して暴力を振るうことが当たり前、何の罪の意識もそこには生まれないということになってしまうのです。
 また、暴力を振るう男性の中には、肉体的暴力や言葉の暴力、経済的な暴力を女性(妻)などにふるうことによって、自分の「強さ」をアピールしたり、確認している男性も多いと思います。
 
比較
「強い」から暴力を振るってもよい。自分の「強さ」を確認するために弱いものに暴力を振るう。どちらも、何かおかしいと思いませんか?
 では、先の武蔵と一歩はどうして強敵に勝ったのに自分が「強い」と感じることができず、逆に「強さ」というものがよけいに分からなくなってしまったのでしょうか。おそらく、相手の存在を否定することによって(他人と比較することによって)、自分の存在価値を見いだそうとした点に、その限界があったのではないでしょうか。
 つまり、相手を倒すことによって自分の「強さ」を確認しようと思っても、倒すごとに、こいつよりも強いものがいるのではないかと思わざるを得ません。ですから、いつまで経っても満足できませんし、自分の「強さ」を実感することができないでしょう。
 また、女性(妻)に暴力を振るっている男性(夫)も、その女性に暴力を振るうことによって自分の「強さ」を確かめようとする限り、一生涯暴力を振るうことをやめられないと思います。なぜならば、一歩外にでれば自分よりも強い人がごまんといることを知っていますし、暴力を振るうたびに、暴力をやめられない「弱い」自分に気づいてしまうからです。
 
本当の「強さ」
 では、本当の「強さ」、ほんとに「強い人」とはどういう人のことなのでしょうか。
 それは、自分で自分のことをしっかり見て、自分のいい面も悪い面もしっかりと受け止められる。そして、目指したいと思う自分の像を作り、それに向かい努力し、成し遂げられる人だろうと私は思っています。
 いかがでしょうか?

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