やまと通信     10月号
                             Vol.41
〜 ライフスタイル 〜
 
 お彼岸がすぎ、ようやく夏が終わったという感じです。気候もすっかり秋らしくなり、食べ物もおいしくなってきましたが、夏の疲れが出るころです。実際、何人かの生徒さんはどっと夏の疲れが出て大変でしたね。(私も先週はずっと体調がすぐれませんでした。)生徒のみなさんも、保護者のみなさんも体調にはくれぐれも気をつけてくださいね。
 さて、今月のテーマは「ライフスタイル」です。何気なく本屋で買った『イギリス式 お金をかけず 楽しく生きる!』(伊形慶子 講談社)を読み、またテレビで沖縄音楽についての番組や千葉の農村地帯についてのテレビ番組を見て、「本当に私たちは幸せに向かって進んでいるのだろうか」という疑問を持ったことから、少しばかり考えてみたことです。
 
おどらされている?
 私は戦後日本が歩んできた、つまり私の親や祖父母などが歩んできた道を否定する気はありません。敗戦により、何もかも壊れ、明日の衣食住さえままならぬ状況下において、他国の犠牲の上とはいえ、「奇跡の復興」をはたしきてきたことは、本当にすごいことだと思います。
 しかし、いつ頃からでしょうか、私たちは「幸せになるために経済を発展させてきた」はずなのに、「経済を支えるために働かさられる」ようになってしまったのは。
 さしてほしくないものを買わされ、さして食べたくもないものを買い、無駄に捨てていく。朝ご飯も、夕ご飯も家族そろって食べないことが普通で、父も母も子どもも、家の外にその居場所を探す。
 六実という町もほとんど空き地がなくなり、人口はかなり増えた。しかし、そこにすむ多くの人たちは有機的に繋がり、お互いの人生を支え合い、お互いをより高めていくような関係はほとんどできていない。
 
 
国家
「国家」は間違ったことをしない、という妄想。その妄想にとりつかれた官僚と自民党議員は、大昔に予定した「公共事業」をいまだにやろうとする。また、あらゆることをいまだに自分たちの管理下に置こうと、そして、自分たちの天下り先を確保しておこうとあらゆる手段を使う。
 学力もつかない、世の中のものに対して何一つ興味関心を向けさせてあげられない、その上豊かな人間関係すら築けないような、いまの学校がなぜ存在するのか。不思議でたまらない。(中学生1人に年間80万円以上の税金が投入されています。しかし、それだけでは、平均的な学力すら付けさせられないのがいまの学校であり、家庭教育のレベルです。)
 小学校、中学校、高校なんて行かなくても、大検さえとって、すばらしい大学にさえ行けばいいのだが、私たち一般庶民にはその勇気もないし、そうしたいと思ってもその受け入れ環境がまったく整っていない。
 
希望
 なんだか、単なる愚痴になってきました。愚痴っても仕方がありませんので、このへんでやめましょう。
 でも、『イギリス式〜』や沖縄の昔の歌遊びや千葉の農村地帯の様子を見てたら、本当にのんびりしてて、毎日の生活を楽しんでいるようで、うらやましい限りでした。ただ、もちろんそういった暮らしには、そういった暮らしなりの短所はあるでしょうが・・・
 でも、いまの日本のライフスタイルとそういったライフスタイルを融合させることは可能なのではないかと思うのですが、無理なんでしょうか?
 やはり、科学や経済の進歩の渦中に巻き込まれてしまったら、そのトップを常にねらい、維持するために、現代のような生き方をこれからも続けなければならないのでしょうか?
 それならば、学生時代だけでも、もっともっと楽しく、心豊かな時を送れるようにしてあげられないものでしょうか?
 それくらいならば、いまの学力水準以上のものを達成しながら、
実現できそうな気がします。いや、必ず成し遂げてみせると、若
気の至りに誓う私でした・・・

 

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