やまと通信     11月号
                             Vol.42
〜 待 つ 〜
 
 先日の中間テストの結果が返ってきました。やまと学院.の8割の生徒さんたちはけっこう成績が上がり、生徒も私も一安心したところです。しかし、逆に言いますと、2割の生徒さんは成績維持、もしくは少し成績が落ちてしまいました。安くはない授業料を頂いているのに、そのような結果になり本当に申し訳ございませんでした。
 ただ、うちの塾は個別指導なので、学校や他の塾のように、90分間ただいすに座って時間が経つのを待っていればよいということはなく、必ず課題をこなしています。そしてその課題も必ず先生が見ていますので、大方理解して家路についてもらっています。それなのに、どうして成績が上がらないのかということですが、先日ベテランの他塾の先生に教えていただいたことは、やはり「勉強時間が足りない」だそうです。(言われてみれば当たり前ですよね・・・)
 つまり、分かっているのに、いざテストとなるといまいちの成績を取るのは、「その生徒の性格と精神年齢が半分、残り半分はやはり学習時間による」のだそうです。
 
大嫌い
 わたしは、人に言われて動くことが大嫌いなので(もちろん助言を頂くことは大歓迎ですが)、どうしても、生徒たちにも「口うるさく」言うことが苦手なんです。これは塾の教師として致命的な欠点なのですが、どうしても直せそうにありません。
 私が強引に生徒の手を引いて頑張らせたところで、そのときはよくても、結局はその生徒の将来にはほとんど意味をなさない、いや、もしかすると負の財産になってしまうからです。
 私はDV(ドメスティックバイオレンス・家庭内暴力)をなくすためのボランティアを通して、いろいろな方たちに、いろいろなことを教わっています。人間は本当に弱い生き物で、いろいろな誘惑、社会的な見えない力によって、簡単に人生を狂わされてしまいます。しかし、人間はそのように陥れる人がいるいっぽうで、そういった人たちを救おうとする人たちもいます。ところが、その人を救える唯一の人は「自分」だけだということがいつも私を苦しめます。
 
「心の力」
 たしかに、手をさしのべ、苦しんでいる声を聞き、法の整備をすることはできます。しかし、心の底から、完全に立ち直るためにはその人自身の「心の力」がどうしても必要なのです。
 私たち教育に携わっているものや、保護者の方たちはそういった「心の力」を育ててあげているのだろうか、と時折考えてしまいます。しかし、考えはするものの、いまの私にはそういった「心の力」を養ってあげられる知識も、経験もほとんどないのだ、と悲しくなります。
 だから、いま私にできること、すなわち受験勉強を通して、少しでもそういったものを養わせてあげたいと思うのです。
 そう思うと、さらに「口うるさく」いうことはできなくなってしまうのです。しかし、一緒に勉強し、中学3年生の夏休みぐらいになると、だんだん「自律・自立心」の芽のようなものが出てくるのも事実です。そういったものを見ているだけに、よけいに私は「待つ」ことを選択してしまうのです。
 これはうそではなく、本心から言えることですが、いま私の塾に通っている30名余りの生徒さんの全員が、ちゃんとした「心」を持っています。
 私はその「心」を大切にしたい。
 その「心」が育つのを待ちたいのです。
 私はいまはやりの「ガーデニング」はあまり好きではありません。私は野原に生えている野草のほうが好きです。雑木林の木々のほうが好きです。彼らは自分で地下深くに根を張り、一生懸命に生きています。そういう草木に魅力を感じてしまいます。
 ただ、森も、野原もじつは「人間の手」が加わって初めて健やかに育つそうです(どういうのが「健やか・正しく」だか分かりませんが)。そのことはある教育学者(東大大学院の教授)や木こりの人が言ってました。
 だから、私たちも子どもたちをただほっとけばよいというわけではないと思います。つまり、子どもたちが将来、「健やかに・正しく」生きていけるように、また、いつその子が1人で社会に放り出されても、ちゃんと自分で自分を律し、
自分自身を育てられるように、適切な助言などはしていきたいと思ってます。
 みなさんは、なかなか鳴かぬホトトギスをどうしますか?

 

 Home   やまと通信の目次へ